利用者の声

別居親 女性

私が6歳の時、両親は離婚しました。
原因は、父親から母親へ対する、いわゆるモラハラです。
私は、母親をいじめる父親に会いたいとは思いませんでした。
父親は、私に会わせてくれるよう母親に言ったようですが、母親は連れ去りを恐れ、私が10歳になるまで父親に会わせませんでした。
10歳の誕生日からは、半年に一回、誕生日とクリスマスに会うようになりました。
しかし、私は離婚原因が父親にあると認識しており、5年以上も家族をしてこなかった父親とは、血縁上、親と子であるから父親なのだという感覚でしかなく、幼少期に父親との良い思い出も全くなかったため、洋服やおもちゃを買ってもらうために父親に会う、というような関係性になっていました。
また、私は女手一つで育ててくれている母親に対して健全な反抗期を迎えることができず、大学を卒業するころになってから、「自分は幸せな家庭を築くのだ」という歪んだ反発心と自立心によって、故意に子どもをつくり結婚しました。
しかし、私は娘を産んで母親になり、幸せな家庭を知らないにも関わらず、家族はこうあるべきだ、親はこうあるべきだと当時の夫に自分の理想を押し付けてしまい、それに耐えきれなくなった元夫に「一人になりたい、自由にしてくれ」と言われ、わずか1年あまりで離婚することになりました。

その後、子連れで再婚し、新たに息子もできましたが、その子が3歳の時、再婚した夫に連れ去り別居をされ、監護者指定の審判を申し立てましたが、監護者は父親に指定されました。
面会交流の調停も起こしましたが、当時は面会交流について詳しく調べておらず、代理人にも妥当だと言われたこともあり、月1回程度、時間や場所は双方協議の上決める、という抽象的な内容で合意してしまいました。

息子が私に対して拒否的な対応をするようになったため、「これ以上、私が関わることは息子にとって負担になるのではないか」と考えてしまい、しばらく面会の申し入れを控えていました。
しかし、息子が5歳の誕生日を迎えるにあたって、果たしてこのまま関係を絶つことが本当に息子の為になるのか、と考え直すようになり、別居親との面会について調べてみました。
そして、私の以前の考え方は誤りであり、別居親との充実した面会交流こそが子どもには必要不可欠であるとわかったのです。
そこで私は9か月ぶりに元夫に面会交流の申し入れをしました。

エイミーJ.Lベイカー博士は、連れ去り事件の被害者の50%が、同じように自分の子どもを配偶者に連れ去られているという調査データを出しています。
これは、親子やきょうだいを引き離し、関係を希薄にさせることで、歪んだ家族観や、偏った父親像、母親像を抱かざるを得なかったために、自分の家庭環境をうまく構築できなかった結果だと言われています。
実を言うと、私の祖母も離婚しており、私の母親も自分の父親と会うことなく育ってきてしまいました。
このことは、エイミーJ.Lベイカー博士の調査結果をまさに表しており、子どもと別居親との関係を希薄にすることは、さらなる負の連鎖を生むことになるのは明らかでしょう。

親の都合で離婚しようが別居しようが、そんなことは子どもには関係のないことです。
離婚は夫婦の別れであっても親子の決別ではありません。
パパにもママにも愛されていると実感して育つことこそが、子どもの情操を安定的に養うことができるのです。
元配偶者を責め、憎み、関係を断絶させようとすることよりも、子どもを一個人として認め、子どもの立場に立って、子どもの一番望むことは何かを親が考え直すことが先決であり、子どもの権利を最大限に実現するための協議を、私たちはしなければならないと思います。

同居親 女性

「面会交流支援を卒業するにあたり」

びじっとさんの創立当初から8年間、メールでの連絡調整型支援でお世話になりました。
子供達が成人に近づいたことと、父子でメールの交換をしたことが卒業の決め手になりました。
むしろこれからが始まりだと思います。
長期に渡り父子の面談が実現できたのは、びじっとさんのおかげです。
感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました。
メールでの支援は機械的とも思われますが、むしろその方が余計な感情抜きでいられるのでよかったと思います。
また、メールの仲介として第三者が入ることによって、面談の予約が公のものになり、安心して子供を送り出すことができました。
面談当日の交通事情等のアクシデント等にもすぐに対応して頂きまして助かりました。
父子面接を継続する事がとても重要で、そのために連絡調整型支援はとても有効なシステムだと思います。
今後も多くのお子さんが親御さんとずっとつながっていられるように祈っています。


別居親 男性

家庭裁判所の調停を経て約2年ぶりの面会が実現しました。
久しぶりに会った子供が、「僕ね、お父さんと会いたかったよ」と言われたことを今でも良く覚えています。
何より子供が面会を楽しみにしているんだなと感じました。
びじっとではいろんな面会交流支援の方法があり、
状況の変化によって対応して頂きました。
当初は、受渡型でしたが、現在ではLINEによる連絡調整型にかわっています。
父母で面会が出来ることを目標にして、子供のためにも利用を続けて行きたいと思っています。


同居親 女性

まだ係争中ですが利用しています。高葛藤の中、健全な発育を願って面会を決断。互いに 我をぶつけながら、援助を受け実現にこぎつけました。面会援助だけでなく、心のあり方 まで大変お世話になっています。


同居親 女性

私達がびじっとを利用しようと思ったのは、自力での面会交流継続が不可能だったからです。面会交流支援団体は他にも幾つかありますが、びじっとは最低限の規約はあるものの、柔軟に個々のケースに合わせた援助をして頂けるので、大変助かります。
理事長が、お寺のお坊さんでもあり、面会交流や親の離婚を経験した子供との接し方など、相談を受けて下さるので、とても心強いです。
団体として成長途中だと感じる事もありますが、利用している私達も一緒に成長するつもりで今は関わっています。


別居親 男性

離れて暮らす娘とは、受け渡し型の面会交流支援にて、月に1度、面会交流の機会を設けています。
娘と私が触れ合うことが出来る何事にも代えがたい貴重な時間を過ごせるようにと、日程や場所等のご調整を迅速に対応頂いており、感謝しております。


別居親 男性

LINEの連絡調整型で、お世話になっています。
単なる調整だけでなく、子供に関わる様々な相談にも応じていただいています。
誰にでも簡単にできる相談ではないので、大変ありがたく感謝しています。


同居親 女性

話し合いが難しい元夫と子供と面会交流をさせることになり、間に入ってくれる所を探すため、 色々なところに直接電話をしたりメールをしたりしました。
離婚直後で様々な面で傷ついているときに、圧倒的に安心感があり、私の気持ちまで汲んでくださり たくさんの話を聞いてくれ、明るく対応してくださったのが「びじっと」でした。
面会交流の際も、元夫の反応が不安で仕方ありませんでしたが、担当の方が本当に上手に取り合ってくださり、私は勿論、おそらく元夫も安心して良い距離感を保って現在も交流しております。 心から「びじっと」のスタッフの皆様には感謝しております。
今後ともよろしくお願いいたします。


別居親 男性

2012年6月よりNPOびじっとを利用させていただいております。
私の場合、子供と別れたのが0歳の頃だったので、正直、自分の子供でありながら、どのように接したら良いか不安がありました。
毎回スタッフの方に随分フォローしていただき、楽しく安心してわが子と交流しています。


別居親 男性

離婚係争中の別居父です。
びじっとは調停員さんの紹介で知りました。
その他の面会交流支援団体もあたりましたが、びじっとの対応が一番感じが良く、また立地的な兼ね合いもあり、びじっとに決めました。
実際に利用してみての感想ですが、係争中であり面会調整するのも大変なはずですが 毎月しっかりと面会の場を調整して下さり とても感謝しています。また、代表の古市さんからはいつも 子供の前ではお母さん(妻)に対しても笑顔で接するようにと指導を受けています。当たり前なようで難しいことですが 子供と夫婦の問題は別物であり どんな状況でも(別居しても、離婚しても) 子の父と母は自分達しかいないわけで、子供中心で面会をしていく必要があるということを教えていただきました。
また、面会の際の担当スタッフの方もとても穏やかな方で、子供も慕っています。
びじっとを利用して満足しています。


別居親 男性

欧米では夫婦関係や子育てなど家事問題で迷った時、悩んだ時、良き相談者としてその傍らに立つのが教会(神父、牧師)だそうです。
以前の日本では同居する祖父母などの家族、年輩者や地域の人々が良き相談者としての役割を果たしてきたと言えます。
しかし、核家族化や地域の人々との関係性の希薄化が進み、良き相談者が身近にいないことが現代日本の問題になっています。
そこで私が注目しているのが、お寺(僧侶)です。
教会と同様、多くの家事問題、家庭を取り巻く環境を知り、常に俯瞰的視点で捉られる立場にお寺があるからです。
だからこそ、立場の中立が期待でき、日本人の多くに共有化されている基準(仏の教え)で、正解の見つけにくい家事問題を解決に導けるのではないでしょうか。
自他の対立を超えた仏の教えであれば、対立関係にある当事者双方も納得すると思います。
お寺を家事問題の中心に、と私は願っています。


同居親 女性

面会交流がびじっとさんのご支援により始まったとき、ずっとパパと会いたがっていた娘の気持ちを想い、ほっとしたような、不安なような・・・複雑な気持ちでした。

始まって何回かすると私は面会内容を深めようとするびじっとさんからの提案に頑なになりました。びじっとさんからは「それはお母さんの問題。ケアを受けなさい。」と言われてしまい、ショックでしたがカウンセリングを受けました。だんだん「娘が私より父親が好きなのではないかと、怖かったんだ。それは私の問題なんだ。」と気づくことができ、父親と娘が面会交流を深めていくことを受け入れられるようになりました。
自分に向き合うことは苦しい経験でしたが、そのおかげで自分のエゴではなく、本当に「娘のため」の対処をすることができ、また私も自分の問題から逃げずにすんだのではないか、と思っています。そしてまた娘は別居している父親のことも、一緒に住む時々けんかをする私のことも大好きで・・・それは子どもとして当たり前であることにも気づきました。

当初はスタッフによる受け渡し型の支援でしたが、今はLINEによる調整型支援に移行しました。私は地方に住んでますので、スタッフによる受け渡し型ですと、スタッフさんの交通費の負担も発生します。常々「面会交流の費用は無駄」と言って頂いてましたが「スタッフがいない面会交流なんて絶対考えられません」という私でした。

しかし、成長とともに娘の「やりたいこと(習い事)」が増えても、希望をかなえてあげられません。ただでさえ公営学童では迎えが間に合わないため娘を入れた民間の学童は費用が高く、教育関係の支出は家計を逼迫しています。
「(習い事の)こちらをやるのなら、もう一つは辞めてほしい」と娘に話したところ号泣されてしまい・・・悩んだ挙句、びじっとさんに「パパに習い事の費用を出してもらえるよう打診してもらえないか」とお願いをしました。すると、父親からは「娘のためなら」と養育費の増額をしてもらえることになりました。
一時は信頼関係が破たんし、今も距離をとっていても、娘の成長をともに願う親同士であることを実感した体験でした。養育費の増額とともに、LINEによる調整型への支援へ移行し、より家計が楽になりました。

離婚した時の状況がずっと続くことはなく、状況・人は変化していくのだということを教えられました。面会交流を続けてきて、よかったと思います。







利用者さんたちの感想を拝読して。

この度、HPをリニューアルするにあたり、びじっとの面会交流支援を実際に利用なされている方々の声を掲載させて頂くことになりました。

ここに掲載させて頂いたものは、すべて利用者さんたちの生の声であり、利用者さんたちが四苦八苦を乗り越えようとする様がよく伝わってまいります。

本当に有り難く、このお言葉をバネにスタッフ一同、更なる精進をしてまいりたいと思います。

勿論、すべての利用者さんが感想を寄せられる訳ではありません。まだまだ、苦海に溺れている方もおられます。

生きるとは、まさしく『四苦八苦』

四苦八苦とは、生老病死の四苦と下記の四苦を合わせたものを言います。

愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と別離すること

怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでいる者に会うこと

求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られないこと

五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 五蘊(人間の肉体と精神)が、自分でも思うがままにならないこと

怨憎会苦・愛別離苦・求不得苦・五蘊盛苦を生む面会交流の問題。

まず私たちは、苦海に溺れている人に気付かなければなりません。

以下の抜粋記事をご覧ください。

実際に静かにおぼれている人に気付くにはどうすればよいのか?

それには、以下に挙げる「Instinctive Drowning Response(おぼれる人の本能的反応)」を知っておくことが重要です。これは元ライフガードで救助法の開発とライフガードのトレーニングの専門家であるFrank Pia博士が定義したものとのこと。

■ほとんどの場合、おぼれている人にとって声を上げて助けを求めることは生理学的に不可能です。呼吸器系の第一の目的は呼吸することであって、声を出すことはあくまで副次的な機能。呼吸することができて初めて声を出す余裕ができます。

■おぼれている人の口は水面の下へ沈み上へ出ることを繰り返します。口が水面の上へ出ている時間は息を吸って吐いて助けを呼ぶことができるほど長くなく、水面より上に口が出た時には、また水面下に沈む前に急いで息を吸い込むのが精いっぱいです。

■おぼれている人は手を振って助けを求めることはできません。本能的に腕を横に伸ばし、水面を下に押すことによって頭を水面上に押し上げようとします。

■この本能的な反応の最中には、おぼれている人は自分の意思で腕の動きをコントロールすることはできません。生理学的に、水面でもがいている人は助けを呼ぶために手を振ったり、救助者が来る方向へ動いたり、投げられた浮き輪をつかんだりといった「自発的な運動」は不可能です。

■この本能的な反応の間、おぼれている人の体は鉛直に立った状態の姿勢ですが、立ち泳ぎのように足でけっている形跡はありません。救助されなければ、もがきながら水面付近を上下する時間はわずか20秒から60秒ほどで、その後は水底へ沈んでいきます。

このように、おぼれている人の本能的な反応は静かなもので、着目すべきサインを知らなければ気付かないものです。

アメリカ海軍とアメリカ沿岸警備隊で救難士として19年の勤務経験をもつ、海上安全を専門とするライターのMario Vittone氏は、水死はほとんどいつも、だまし討ちのように静かに起きる出来事なのです。テレビですり込まれたような、手を振り回し水を跳ね上げ、叫び声を上げるようなおぼれ方は、現実にはめったに見られません」と書いています。

Vittone氏はおぼれている人を見分けるポイントとして以下のようなサインを挙げています。

・頭が水に沈みかけていて、口が水面付近にある

・首を後ろに反らし、口を開いている

・無表情でうつろな目をしていて、焦点が定まらない

・目を閉じている

・額や目が髪に隠れている

・立ち泳ぎのような姿勢、脚を使っていない

・過呼吸または息を切らしてあえいでいる

・ある方向へ泳ごうとしているが前進していない

・あおむけになろうとしている

・水の中で見えないハシゴを登っているような動き

声を上げたり腕を振って助けを呼ぶ人は、その次の段階として上述のような静かな「本能的反応」におちいるとのこと。

つまり本格的におぼれ始める前段階までは声を上げることができるということですが、声を上げる間もなく静かにおぼれ始める人の方が多いそうです。

声を出せる段階のうちに救助に駆けつけることができれば、要救助者はまだ自発的に腕を動かすことができる状態なので、ロープや浮き輪をつかむこともできます。

ボートから落ちた誰かが、水に浮いてボートをじっと見上げているとします。一見何の問題もないように見えても「大丈夫か?」と一声かけることが重要です。「平気だよ」と返事がかえってくれば、おそらく本当に平気なのでしょうが、ぽかんとした顔で見つめ返された場合には、30秒以内に救助する必要があるかもしれません。

また、「水遊びをする子どもは、うるさく音を立てるのが普通です。もし急に静かになったら、なぜ静かになったのか、おぼれていないか、確認すべきです」ともVittone氏は述べています。

『本当に溺れている人は、溺れているように見えない。静かに沈んでいく人に気付くためのポイント』
http://gigazine.net/news/20100910_what_drowning_looks_like/


つまり、面会交流など第三者の支援を求めてこられるのは、本格的におぼれ始める前段階であるということです。

声を出せる段階のうちに支援介入ができれば、要支援者はまだ自発的に腕を動かすことができる状態なので、支援者によるロープや浮き輪をつかむこともできます。

離婚をするのは身勝手だという意見が、まだまだ根強くあり、多くの父母は批判を恐れて誰かに相談することを躊躇ったり、意固地になってしまったりして社会的に孤立し、仕舞いには、どうしたらいいかが分からなくなってしまいます。

それは、まさに苦海に溺れるようなものです。そのような父母を社会福祉では「インボランタリー(非自発的・拒否的)」と呼びます。

抵抗感、戸惑いや不安、不信感や恐怖などがあって、自主的・自発的にしかるべき専門家や専門機関・施設などに出向くことに困難や反発を感じてしまい、セーフティネットから抜け落ち、苦海に静かに沈んでしまわないように。

その事を私たち面会交流支援スタッフは、忘れないようにしなければなりません。

多くの気付きを下さる利用者の皆さまに心より感謝を申し上げます。

いのちに合掌

理事長 古市 理奈